SとMの二乗(事情) Category:SS Date:2009年04月24日 P3:綾主綾 ファルロスがいなくなった前後。 頭のおかしい綾時。 世界なんて滅びろなノリの主人公。 漫画名(有里湊)で固定。 *** 思えば彼は一目見たときから完結した人間だった。 たまに、タイプが違うだろう男とつるんでいるようだが、浮かべる表情はいずれも水をなみなみと湛えた湖然として静かなるものだった。 物心ついたとき(といっても綾時が覚えていられたのはごくごく最近からの出来事ばかりだけれども)からけっこう深刻に悩まされていた、何かしら欠けているような喪失感を補うがごとく、綾時は女生徒に声をかけて気安い人間と印象づけたが、それを大なり小なり嫉む人間が唇を尖らせる中でも彼は取り澄ました顔で音楽に耳を傾けて窓の外を眺めていた。まるで綾時が誰と関係を築こうが、己に障りなければ関知の与るところではないと。 八方美人というより、交友関係の広さが災いして実は誰に対しても情が薄いと自覚のある綾時も、いっそ感嘆してスタンディングオベーションを贈りたくなるほど徹底した無関心。僕はマゾじゃないはずなんだけどなと改めて確認してしまうくらい、綾時の興味を惹きつけて止まない、有里湊はそんな雰囲気を背負った男であった。 多分、彼らを取り巻く諸々がおかしな方向に転がり始めたのは、綾時が妙な好奇心を芽生えさせたこのときからに相違ない。もっとも、件の有里は、それ以前から非日常に巻き込まれているが、今回のことが微妙にそれと関わっているなど、このときは流石に誰も知る由もないのである。 有里湊は、心許ない堅物なイメージを見事に裏切るタフネスを持ち合わせた人間だった。部活に同好会にバイトを日々一定のサイクルでこなし、勉学に励んだ分だけちゃんと結果を出し、おまけに人当たりが良く受けも良い。綾時なりに収集してみたこれらの情報は、一体どこの漫画の世界だと嘆かせる注目性をありありと綾時に提示してみせた。 遠目から眺めるだけで十分、という奇特な充足を与えられている女生徒が多々いる中で、それでも有里湊は有里湊たらしめる荘厳さを窺わせる寡黙を、今日も今日とて貫いている。 世の中不公平だ。 綾時の守備範囲の広さに同じ感想を抱く男子生徒の存在を知ることなく、綾時は世界の不条理加減を思い知った。 ところでそんな転校生のわけがわからない関心の的とは露知らず、有里湊は傷心に身を焦がしていた。 この地に来て初めてできた友人(それが例えば囚人服を着て夜にしか会えなかったオリンポス火山並みに怪しさ大爆発な子供だとしても、有里の心の拠り所であった。現実的に有り得ないことは、ペルソナが先か子供が先かという問題において、有里は考えることを放棄している。見かけによらず、有里はキャパシティの小さい男だった)から突然別れを切り出されたのである。けっこう本気で付き合っていた女の子と別れるよりも辛かった。涙が流れて涸れてもおかしくないくらい辛いのに、涙が出ないことが更に有里の喪失感に拍車をかけた。首か胸を圧迫されて息ができない苦しみというのはこんな感じなのかと、そんな責め苦を所かまわず精神的に堪能している真っ最中であった。余談だが、有里は打たれ強いサディストである。 だから正直、自分を含めて三人目という異例の転校生に、興味なんか糸くずの先ほどにも抱かなかった。偶然だか何かの仕業か知らないが、友人と同じ場所にあるホクロを転校生に見つけて、懐古し、墓穴を掘っていたりを繰り返して、少なくとも表面上はいつもの無表情、内心では周囲に気を払うことすらできないほど荒れていたのだ。はっきり言って誰が女の子を侍らそうとどうでもいい。寧ろペルソナとかシャドウとか、勝手にしてくれというひどすぎる荒みっぷりだった。 「ねぇ有里くん、僕と友達になってくれない?」 なので、向こうから声をかけられたときは、こう返すしかなかった。 「お前、誰?」 後ろでお節介にも物言いたげだった順平が騒ぎ出す。うるさいなあ、どうだっていいだろ。投げやりな有里の反応はさすがに予想外だったのか、握手を求めるつもりで中途半端に浮いた腕をそのままに、噂の転校生は目を見開いて固まった。 おま、誰とかそりゃねぇだろ!転校生だよ転校生! てんこうせい?俺は知らないぞ。 いや、知らないも何も、お前の目の前で紹介してたじゃん! …覚えてない。 みなとくんー!? 「じゃあ改めて。望月綾時です。良かったら友達になってくれないかな」 チャレンジャー望月綾時くんは、笑ってもう一度手を差し伸べた。普通はショックを受けるなり何なりと、怯むのに、ずいぶん人間ができていることだ。差し出された手の、丸い爪の先を見つめながら、有里は首を傾げた。 けれど、友達はもういらない。置いて行かれる痛みは二度も三度も味わいたくない。 「俺には、そんな気ないんだけど」 「有里お前、断るにしたってもうちょっと言い様があるだろ……」 「じゅんぺーくんも大概ひどいよ」 嘘泣きしてみせる望月綾時は、見れば見るほどあの友人と似つかわしくない。せっかくだからとりあえず指先と握手してみて(綾時も順平も微妙な顔をした)、有里は綾時を見た。 「友達と名乗りたければ勝手にすればいい。けど俺はお前のことを犬とかゴミとしか呼ばない。俺のことは、有里さんもしくは有里様と呼べ。下の名前を呼んだら呪殺してやる」 別に人間関係が瓦解しようが今更な話で、騒ぐ順平を押しのけ、言い捨てた有里は屋上に続く階段を昇っていった。 有里はひとつ、誤算が生じたことを知らない。 有里の背中を見送る綾時の顔が、木陰から白球を追いかける球児を見守る女生徒さながら憧憬に輝き、頬は赤らんで目は潤み、まるで……そう、まるで。 「じゅんぺーくん」 「あー、気にすんなよ綾時。きっと虫の居所が悪かったんだ。一応いい奴、のはずだから」 「僕、今なら運命だって信じられるよ」 「…………………はい?」 「僕はきっと、彼に詰られるために生まれてきたんだ!」 「……………ソーデスカ」 順平は数分前からの会話を記憶に留めないことにした。 有里の誤算は、綾時の自らも自覚していない隠れた才能の存在を知らなかったこと。蛹から蝶に華麗なる転身を遂げるように、マゾヒストに変態した綾時の未来など、恐らく鉤っ鼻の小さいおじさんやエレベーターガールすら、予測がつかないのだろう。 SとMの二乗(事情) PR