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飽かぬ別れ

ジャンル無差別乱発

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ピリオドスケープ

DFF:107


ティーダがクラウドになつくまで。
ものすごくだらだら長いです。半角で28000くらい?


title:誰花

01 花咲く小片

「ティーダ、その木は燃えない」


静かな、しかし確実に自分をとどまらせる声に、ティーダは内心でむっとしながら振り返った。静謐で何をも受け付けない清涼な湖を思わせる青がティーダを射抜いている。


「生木は火を熾しにくい」
「わかってるッスよ」


持っていた枝を八つ当たり気味に放り投げ、ティーダは、最早用はないと言わんばかりに背を向けたクラウドの背中をきつく睨んだ。
ティーダはクラウドが苦手だった。
ティーダを含め、欠損した部分の記憶を省いて己の身を明かしたというのに、クラウドは名前とソルジャーだったということ以外、ほとんど口を開かなかった(ソルジャーというのにしたって、兵士みたいなものだとしか告げず説明もおざなりだ)。いつも一人輪から外れて(それはスコールも同じだけれども)、胴ほどある大太刀を抱えて遠くを見る彼は、ティーダには周りを拒絶しているようにも見える。非協力的ではないが、極力他の人間と関係を持つことを避けている節があるクラウドに、ティーダは距離を測りあぐねているのである。唯一明かした身分であるソルジャーという言葉を聞く限り、クラウドはウォーリアやセシルと同じく戦いに従事する人間だとしても、物々しい甲冑で身を包む前者二人と違って軽装の彼に何かしらの猜疑を抱くのも無理からぬとはティーダの弁だ。
ティーダが片手で持てないほどの薪を手早くまとめて軽々しく抱え上げるクラウドの腕は、大剣を振り回すに相応しく筋が寄り合わさったかのような頑強さが確かにある。痩身のわりに筋肉しかない体をティーダは知っているけれど、感情の部分で認めたくなかった。昨日今日初めて命を奪うことを知ったティーダと違い、クラウドは本当に戦いの中を生き抜いた荒くれなのだと。


「なあ」
「?」
「セフィロスとか、言ってたッスよね、あいつ」


クラウドの碧眼が水面のように揺れる。
クラウドと対照的な長い銀髪をたおやかに振り、視認できないほど速い剣戟を繰り出す、七番目の混沌の戦士。クラウドの対として召喚された者。あれは、クラウドの神経を遊ぶようになぶってばかりで取り合わず、何やら不穏なことを口にする。人形だの何だの、口ずさんではクラウドの反応を楽しんでいるようだった。
クラウドにしても、彼を別段意識して刀を振るっている。あれを殺すのは己だと、寧ろ使命にすら感じているがごとき執着である。彼方と此方の戦士は互いに因縁ある間柄で、ティーダも例外ではないが、彼らは殊更そんな印象が窺える。


「クラウドが人形って、どういうことッスか?」


だってティーダにはクラウドが人形なんて命なきものに見えない。いっそ心臓まで貫いてしまいそうな鋭い目の輝きはたかがびいどろの反射では片付かない。
クラウドは玲瓏な光をひとたび踊らせ、押し殺したような声で、 「お前には関係ない」
やはりティーダは好きになれそうになかった。











02 雨垂れと流星痕

彼の者の悲哀を知れとは、よく言ったものだ。ティーダは思う。
最近顔を合わす機会がとみに増したと感じる(それは単にティーダの勘違いかもしれないけれど)相手であるクラウドを横目に、クリスタルの探索に精を出す。されど二人の間に会話らしい会話などなく、ティーダの騒がしさをよく知るセシルやフリオニールはきっと驚きで目を見張るほど、ティーダは貝のごとく口を閉ざし続けた。多人数でないのなら、沈黙はさほど苦にならない。クラウドなんかはティーダよりもよほどお手のものだろうと内心でくさして、少し彼の顔を盗み見る。
見開けば恐らく大きいだろう、やけに透明度の高い碧眼は不機嫌に細められ、足元の少し先を睨みつけているようにも思える。
男にしてはもったいないとジタンが嘆くのもわかる。目を遮る睫毛の、無駄に長いこと。血色も良くはなく、体も枝のようにこつこつしているだけなのに、よくよく見れば二の腕はティーダのそれより筋肉質で力強い。背は高くなく、ティーダと年は変わらない外見ではあるけれども、反して老獪さを窺わせる静かで厳かな雰囲気が、ティーダは苦手だった。スコールの額にある傷同様、あの悲壮感は過去に何かあったのだろうから、抉り出す真似はするなとウォーリアに言い含められていたが、地獄を見てしまったと言わんばかりの後ろ姿に父親たるあの男とは別の種の反感を覚えるのである。


「ティーダ、そろそろ戻ろう。多分もう、六時間以上は経っている」


時計も日も影もない世界で、一体どうして時間などわかるのかと言いたいが、あまり外れることのないその言に疑う気など持つのも馬鹿馬鹿しく、クラウドから数歩先を歩いていたティーダは回れ右をして元来た道を引き返す。クラウドがまた己の後ろを歩き出すのが、なんだかひどく気に入らない。


「なあ、なんでアンタ俺の後ろばっかり──」
「……どうした?」
「──なんでもない」


そうかと再び足を進めるクラウドを密やかに覗くティーダは、先ほど振り向いた瞬間にクラウドの顔から広がっていた悲しみがこそぎおちたのに気づいていた。
なんで。どうして。それを聞けるのは、きっとティーダではない。












03 朧に散逸

夜(と言えるのならばの話だが)、小用を足しに森に入っていたティーダは、見張りのセシルの傍に、クラウドがいることに気づいて足を止めた。
並んで座っている彼らは何かを話しているようで、微かに唇が動き、相槌を打っている。遠目に見るクラウドはセシルの穏やかな雰囲気につられてか、表情が柔らかいように見える。一度止まった足は彼らの前に顔を出すタイミングを失わせ、ティーダはそのまま隠れるようにして近場の樹木に背中を預けた。虫の音ひとつしない森に、ティーダの呼吸の間を縫って、静かな声が響く。


「どう、クラウド。少しはティーダと仲良くなれそう?」


自分の名前に、身じろぎをするティーダ。
そっと顔を出して様子を窺えば、クラウドの瞑目した顔がため息を洩らすのが見えた。


「…どうりで。そういう作為めいたことは止めてやれ。あいつだってフリオニールやアンタの方が付き合いやすいだろう」
「あれ、ずいぶん遠慮するんだね。ティーダのこと、好きになれない?」
「どうかな。俺は嫌われてるらしいし」


セシルの苦く笑う声を耳にしながら、込み上げてきた罪悪感に歯を食いしばった。何を今更と思うが、クラウドの苦み走った顔から察するに、どうやら倦厭しているのはお互い様らしい。こちらとて望むところだと半ば意地を張って頑なになる。


「そろそろ寝直す。俺がいつまでもこんなところで居座り続けても、ティーダはつらいだろうからな」


落ち窪んだ目でティーダのいる樹木を一瞥したクラウドは、諦念と疲労しか残らない笑みをセシルに向け、フリオニールが転がる毛布の隙間へ体を滑り込ませた。気づかれていたと知ったティーダは、悔しいやら情けないやら複雑な感慨を落ち着けるべく静かに呼吸を繰り返す。


「……もう誰も見てないから、出てきても大丈夫だよ」
「そんな言い方、ずるいッスよ…」


出てこざるを得ないではないか。
膨れ面のティーダにセシルは軽く笑うと、自分の隣を勧めてくる。座る前にティーダは、実は起きてやしないかとクラウドを見る。フリオニールに巻き込まれないようにと少し間を空けて目を閉じているクラウドは、瞑想するように、まるで現実味がない。場合によっては死んでいるようでもある。
すっかり目が冴えてしまったティーダは、武器を丁寧に手入れするセシルの指先をなんとはなしに眺めながら、もしかしてクラウドは自分に気を遣って場所を譲ったのではないかとぼんやり考えたのであった。












04 託する刻骨(こっこつ)

クラウドの武器は、見かけを裏切ることなくその重量を誇る。板切れのような、突き刺すだけで胴を両断してしまいそうな幅広の刀は、切り捨てるというよりむしろ叩いて重さに任せて潰す方が似つかわしい。使い方ひとつ間違えれば己の腕を壊してしまう、そんな危険極まりない武器を片手で振り回してイミテーションを圧砕するクラウドの闘いぶりを、ティーダは手透きであるならよくよく観察するようになった。
戦士としてのキャリアならば当然ティーダと比ぶべくもないクラウドの技量を目で盗むのは、決して無駄ではないはず。ティーダの心持ちを変えるだけで素直になれるそれは、言葉をつけるとするなら美点と言うのだろう。
身の捻り方、力の流し方、足の捌き方、どれをとってもクラウドは刀だけで生き延びてきた、戦士屈指のパワーファイターである。口にすれば途端に安っぽく聞こえるが、そうなるまでどれほどの時間を費やしたのやら。
頭の中で再生していた最近の戦闘の様子を切り上げ、疎かになっていた武器の手入れに気持ちを改めて向かう。向かいでは、クラウドもバスターソードを膝の上に横たえさせ、丁寧に布で汚れを拭き取っていた。心なしかその目は読書をするがごとく落ち着いて、ほんの僅か悲しみが浮かんでいる。気がつけばいつも彼は何かを悲しみながら懐古しているようだ。


「なあクラウド」
「?」
「どうしてそんな使いにくそうな武器を選んだんスか?」


ここのところティーダは、クラウドに話しかけることを極端に厭う傾向を失い始めていた。いらえが返ってくるかは状況とクラウド本人に因るところが大きすぎる気もするが、その間の沈黙を居心地が悪いと思うことはあれ、苛立って向かっ腹を立てることは今やほとんどご無沙汰だった。
手を休めてじっと返事を待っていると、クラウドも諦めたように布を脇に置いた。


「……同じことを、スコールにも言われたな」


ティーダは、スコールと同じことを尋ねたのにではなく、クラウドがスコールとそんな会話をしていたことに瞠目した。物静かな者同士、通ずるものでもあるのかと視線を明後日に飛ばしたら、何か関係のないことを考えてやしないかと冷たく目を眇められ、慌てて佇まいを正す。げんきんなティーダに何を思ったか知れないが、ため息を吐いたクラウドは膝の上の鈍く光る刀に目を落とし、口をそっと開いた。


「もともと俺は人並みより体力がない。体格も他の奴らに比べればずっと貧相だったし、筋力を鍛えてばかりだったから背も伸びなかった」
「え、そうなんスかっ?」
「骨の成長を妨げるそうだ」
「へぇ」


どちらかというと、あんな大剣をひょいひょいと扱うくせに体力がないなどとのたまうクラウドの厚顔さをあげつらったつもりなのだが、まじめに返され、どうにもきまりが悪い。胸のうちで反抗心がむくむくと育つティーダに気づかず、クラウドは一息置いて連綿と抑揚のない声で続ける。


「スコールにも言われた。スタミナのないうちから体力を削ってばかりの武器を使っていては、いつか命取りになると」


そう、スコールは朴訥ではあるけれども、無慈悲ではない。だからこそ調和の戦士として選ばれ、バッツやジタンといった、気の良い人間に放っておかれないのだ。武器のことも、仲間を思った老婆心からの忠告だろう。現役の傭兵らしい彼のかたい無表情を思い出した。クラウドも困ったように口を歪めてため息を吐くついでのように言う。


「あいつが言うに、俺はいつかこの剣に殺されるらしい」


ティーダはバスターソードを見下ろす。
注視すればかなり年期のいったとわかる業物は、今までクラウドと歩みを共にし、クラウドの命を預かってきたことを誇りにする威厳を湛えている。今更クラウドの命を掠めとる小さきものには見えない。


「そこまで言われても、変えようとは思わないんスね」
「ああ……別にいいんだ、この剣が俺を殺しても」


むしろ殺してくれてかまわない。
クラウドの口から出た声が信じられなくて、ティーダは勢いよく顔を上げた。クラウドの視線はティーダと混じらわず、不乱に刀を見つめている。柄を握りしめた手は白く血の気をなくし、ティーダには、今にもクラウドが泣きそうな顔をしているように思えてならない。


「…なん、で、そんなこと言うんスか」


搾り出すようなティーダの問いかけはみっともなく震えた。クラウドは、ただただ黙って刀を見続けた。












05 夜天光(やてんこう)

久しぶりに散っていた仲間が一同に会し、誰一人欠けていない再会に喜んだ月の渓谷。今までの経過を話し合うのだろう、ウォーリアがセシルとスコールとティナを呼んでひとつに固まっていた。
ティーダはすぐにバッツとジタンの傍に行き、くだらない話を聞きながら、クラウドが誰からも等しく距離を置いた場所に佇み、フリオニールやオニオンナイトが遠巻きに彼へ声をかけあぐねるのを眺める。静かな、静かでまっすぐな出で立ちは、頑なに誰との関わりをも拒絶している。どうしてあんなに意固地になってるんだとティーダが唇を尖らせたのを見咎めたジタンが、にやりとバッツに目配せをした。


「ティーダっ、なぁにクラウドなんか熱心に見てんだよ?」
「ね、熱心になんて見てないッスよ!」
「そうだぞジタン、いくらクラウドの顔が小綺麗だからって、なぁ?」
「もったいねぇよなぁ。あれで野郎だぜ? あんな馬鹿でかい剣振り回したときなんて、詐欺だと思ったね、俺は」


にやにや意地悪く笑みを浮かべる二人に、からかわれていたのだと知るより、以前クラウドが言った言葉がティーダの顔を曇らせる。
いつか彼の持つあの長大な剣が、クラウドの命を奪うとして、しかしクラウドはあえて甘受すると言った。なぜと問うてもこのときばかりは理由を教えてもらえず、ティーダの心の中にわだかまりを残している。
己の命取りになるやもしれない武器を愛用する気持ちが、ティーダには理解できないのである。


「……おい、ティーダ?」
「あちゃー、こいつは重症だ」
「だって、」
「んぉ?」
「だって、クラウド意味わかんねーッス。もしかしたら死んじゃうかもしれないのに、なんであんな剣」


大事に使ってるんスか。
頼りないティーダの独白に、バッツが顔をしかめた。


「…よくわかんねえけど、そりゃ、穏やかじゃねぇな」
「そうか? 俺はわかる気がするけど」


ジタンはホルダーをひと撫でして、上機嫌に尻尾を揺らす。


「やっぱ長年使ってる武器ってのは自分のクセがいっぱい残ってさ、愛着があるだろ。今更新しいのに取り替えて、また一から自分の好みに合わせるのは、骨が折れるっつうか、なんつうか」


その気持ちはティーダにもわかる。新しいものは持ち手から何まで、硬い気がする。ひとつひとつ違う武器特有のクセに慣れ、動かすのにティーダも長くかかった。これは一人の女に入れ込むことに似ている。
全ての武器を使いこなす天賦の才能に恵まれたバッツだけは、よくわからないと首をひねっているが。


「とにかくさ、自分の武器が一番ってことだよ」


上手くまとまらなかった気恥ずかしさに、ジタンは笑って誤魔化しながらクラウドを心配げに見つめるティーダの背中を強く叩く。大丈夫だと。


「ところで俺は、あんなにクラウドを毛嫌いしてたお前の心変わりが気になるなー」
「あ、それは俺もー。ほれほれ、お兄さんに言ってみな?」


そんなの自分だってわからない。
反論を喚きながら、ティーダの頭の片隅が冷静に返した。












06 祈りの萌し

思えばクラウドが気になり始めたのは、あの夜、侘びしい夕食を食べ終え、見回りと不寝番の分担を決めて余った暇を武器の手入れに使っていたときだった。バスターソードを撫でる手つきが闘いのときと打って変わってあまりに優しく、見つめる視線が慈愛と悲哀に満ちていたクラウドの口から、この剣に殺されたってかまわないといううっかりこぼした風体の独り言を聞いてしまってからのように思う。闘い振りのみならず、クラウドを取り巻く雰囲気やひた隠しにされた本音を探るべくして、注意深くクラウドの観察をしていたら、ある日ティーダは気づいてしまった。
誰も見ていないときに限ってクラウドは内包する悲しみをあらわにする。例えば月の渓谷で、例えば朝早い湖の畔で、背を丸めて何かを悼み、ひたすら内罰的に己の中にこもっている。
ティーダがそれに気づいたのは全くの偶然だが、そこを重点に注視してみれば、よくわかる。クラウドは、失う悲しみをきっと誰より知っているのだろう。ティーダごときがしたり顔で言うのは憚られるが、いつもティナに似た迷い──己はこれから一体どうしたら良いのだろうという戸惑いと同時に、クラウドは極端に人と接することを忌避しているようだ。胸の内を明かせば少しはそのしこりも取れるかもしれないのに、一人抱え込んで、ぐずぐずと腐らせている。とても彼らしく、クラウドたる所以と言ってしまえばそれまでだが、それでは、ティーダたちが集団でいる意味がない。仲間なのだから。


(だけど、)


クラウドはどうなのだろう?
いきなりいずことも知れぬ場所に召喚され、顔も名前も知らない人間と共に力を合わせて世界を救う。状況が状況でなかったら、ティーダも躊躇うかもしれない。いい迷惑だという思考が一端にないとは言えないだろう。抜き差しならぬから固まって行動するのも吝かではないというだけで、本音を言えばさっさと己のいた世界に帰りたいはずだ。あくまでティーダの予想だが、あながち間違っていない気がした。
降りかかる火の粉は払う。そう言った彼は、ウォーリアやフリオニールといった、世界を救うという硬い決意は一切口にしていない。ティーダも救世なんて高尚な考えなんぞないが、消極的なクラウドのこと、己の世界がどうかなってしまうかもしれないことがなければ、動かなかったに違いない。
かつて、クラウドを信じきれなかった時分に、フリオニールにそんなようなことを要領を得ないままごにょごにょと告げたら、烈火のごとく怒鳴られた。


「あいつは、そんな冷淡な奴じゃないっ!」


そのときは知ったか振りをとむくれたが、省みれば、ティーダは一度クラウドに助けられたことがあった。
ティーダは目を瞑って回顧する。












07 永久の階

叩きつけられた衝撃で呼吸が止まる。脈は鐘を鳴らすように速く、浅い意味のない呼気が次いでティーダの口から溢れた。
それを大儀そうに見下ろす、山のような頑強な男。


「まだまだ詰めが甘いな」


赤い布を頭に巻き、伸ばしっぱなしの黒髪の間から、這いつくばっているティーダを睥睨する男──ジェクトは、軽く握られているティーダの拳を足先で小突く。やられ放題の口惜しさに気力だけは屈するものかと睨み上げれば、ジェクトは満足げに笑った。腕は丸太のようで晒された裸体の上半身は、ティーダがこれを超えるものを見たことがないほど鍛え上げられている。ティーダと同じく元は一介のスポーツ選手なのに、ティーダと違って戦士として通用する体。まざまざと差を見せつけられているようで、ティーダは歯噛みした。


「あんまり温いと、さっさとクリスタル、壊しちまうぞ?」


嘲弄するような諧謔の言葉が脳のシナプスをぱちぱちと焼き切る。
重苦しい体を足のばねで跳ね上げ、剣を振るうも、腹を蹴られて再び地面に転がった。胃液の逆流で喉が荒れる。
今日はたまたま方々に散るという形をとった短期の探索だったのに、よりにもよって遭遇したのがこの男。しかもイミテーションですらない。とんだ運のなさだと口の端から泡を飛ばしながらティーダは思う。ジェクトが拳を振り上げるのを離人症のような気分で眺め──


「それ以上は止めてもらおう。それでも一応コスモスの戦士だ」
「はっはぁ、ようやっと保護者の登場かい」


少し意識を飛ばしていたティーダは、その間にジェクトの拳でバスターソードをはじかれたクラウドが不意打ちに初めて表情を変えたのを見た。肩をすくめるくらい激しい落下音が響いてバスターソードがティーダのすぐ近くに落ちるのを見届けた後にティーダが顔を戻すと、またいつもの無表情に戻ったクラウドが、ジェクトの軸足を払って後退しているところだった。
クラウドが素手で戦うところなど、ティーダは見たことがない。初めて目の当たりにした徒手空拳のそれは、けれど剣戟同様とても鮮やかで、ただのケンカとは醸す雰囲気までが違う。ジェクトは非常に楽しそうな顔をした。


「ガキ一人じゃ面白みに欠けるからな、ちっと相手してくれよ!」
「素直になれない性格はさすが似たもの親子だな。息子の成長は大人しく寝て待っていたらどうだ」


それはないとティーダが内心で否定を重ねるのと同じくして、クラウドの言葉に途端にジェクトは相好を崩し、不機嫌気味に拳を下ろす。


「お前さん顔に似合わずずいぶんな堅物だな……興が殺がれちまった」
「そうか。鬱憤を晴らすなら仲間内でやってくれ。迷惑だ」
「気が向いたらな」


結局ジェクトは最後までティーダを顧みず、知らず抱えたバスターソードは顔の前まで持ち上がりそうにない。
怪我の程度を尋ねる無傷のクラウドの声にも腫れた口元ではまともに答えられず、ティーダは思いきり下唇を噛み締めて歯ぎしりを繰り返した。












08 槿花走(きんかそう)

混沌の戦士──いわゆる敵対勢力の側に家族がいることは、ティーダばかりが例外ではない。セシルの兄のゴルベーザも、少しティーダたち親子と事情が異なるようだが、カオスに属している。クジャもジタンの兄に等しい存在らしいが、ジタンがその話題を蛇蝎のごとく嫌がったので、何か複雑なようだと想像するにとどめた。その話題で薮蛇だったというバッツは 「なかなか正しい判断だぞ、それに触れるとほんとひどいからな、あいつ」 と頷いていたが、ジタンの暴挙もまた、想像に頼る他ない。
そういえば、クラウドも時折セフィロスと同じ目になることがある。眼球が透けるのではないかと疑わしくなるほど透明な碧眼に、翠鱗の光がうっすら滲んで眼球にひびが入ったように瞳孔が細く割れるのだ。本人は全く気づいていなかったようで、それを告げると、忌々しげに顔を歪めて 「答える必要はない」 と背を向けた。確かに、セフィロスは敵で、クラウドが調和の戦士として召喚されたことが全てなのだろうけれど。


「じゃあ、本当にクラウドとセフィロスは兄弟じゃないんスか?」
「ああ」
「でもなんか、クラウドって口うるさい親父とか兄ちゃんぽいッス」


オニオンの扱いとか、弟みたいだし、と本人がいれば不本意だと目一杯主張するだろうことを言って笑うティーダ。


「クラウドって一人っ子?」
「ああ」
「じゃあ三人家族なんスね」


クラウドは流し目でティーダを一瞥した。その横顔は男とわかってもぐらつくというバッツの言葉を至言たらしめるに充足であった。
スコールもだが、冷たいイメージを持たせる造詣に秀でた顔というのは、心臓に悪い気がする。


「俺の母親はずいぶん前に死んだ」
「えっ……」


話の槍玉にすべきではない類だったろうか。気まずげにクラウドを見やると、彼は特に気にした様子もなく、いつもの伏し目がちだった。


「えっと……じゃ親父は?」
「顔も知らない」
「え……あ、うぅ…………わりぃ」
「気に病む必要はない。俺にとっては素性も知れぬ人間だったから」


冷たいとか、まるで突き放したようなとかではなく、本当に一個人の他人としてしか捉えていない言い方。いっそ本の登場人物を説明する方がまだ現実味が持てた。
クラウドは、父親という存在とそれが家族の中で担う役割に対して、無防備なまでの先天的な無知である。そのことがどれほど憐れみに値するかを推し量るには、ティーダはまだ青臭い子供すぎた。他の戦士たち──或いはセシルなんか──ならば、もっと別の言いようがあっただろう。が、それを今更考えても詮無いことであった。


「人が住むにはあまり肥沃な土地でもなかったし、人付き合いも欠いた方だった。毎日ずっと、母親の手伝いばかりしてたから、ろくな友人もいなかったな…」


故郷を出、その後にトモダチもできたりしたが、と小さく続けていたクラウドの声が止んだ。ティーダが目を向けると、クラウドは懐かしげに目を細めていた。
郷愁というよりは、懐古といったそれ。遠い地を馳せるのではなく、今はもうなくなってしまった、大切な何かを偲ぶ薄い青の眸。
ティーダの父親に言葉を投げかけたとき、クラウドは何を思っただろうか。知る術はない。












09 風結びはかく語る

「お前に絶望をおくろう」


まるで恋人に語りかけるような艶めかしさ、柔らかさが耳についた。
刀を振るうだけで空気を震わし、切り裂く見えない剣戟を、それでもクラウドは二合三合とかわし、いなし、しかしついには剣圧に押し負けて地に叩きつけられた。刀傷の多く目立つ体は衝撃に耐えかね、破損して入ったひびのごとく血が滲み出している。


「クラウド!」


叫んだのはフリオニールかセシルだったか、はたまたティーダか。
クラウドは地に伏して身じろぎをするだけで、起き上がれそうにない。何気なく振られたあの刀に、どれだけの鋭さがあったか、想像したくなかった。
一太刀浴びせて気が済んだのか、こごった闇色の翼を片側に生やした銀髪の巨躯は、倒れても刀を手放さないクラウドを、己の作った芸術品を愛でる満足げな目で見下ろしている。追い討ちをかける様子は見られないものの、またいつその刀が握られるのかと思うと、安堵などしていられない。イミテーションの矛先を散らしながらティーダたちがクラウドの傍までにじり寄ったらば、彼の英雄は不快に眉をひそめた。


「無粋な真似をするな」


どれがこの男の気に障ったか知らないが、眼中になかったとばかりの言い方に、いずれも表情に険しさが増す。
傷はひどかった。
肩から胸にかけて走る傷は骨にまで至り、脇腹の刺突は背中まで貫いて達している。軽いものですら深く傷を残し、じわじわ地面を汚す赤い血が、いつも以上に悪いクラウドの顔色が、何故だかティーダの焦燥を煽った。
イミテーションを二人に任せて荷物をあさり、ポーションをクラウドに差し出すが、クラウドは重傷の体など気にもかけず、バスターソードを握りしめたまま、苛烈な憎悪の目でセフィロスを睨めつけている。
こんなとき、クラウドとセフィロスと、ティーダたちの間に横たわる、異世界が阻む縁を痛感する。この男の姿を見て、真っ先に飛び出したのはクラウドだった。
剥き出しの憎悪であれ(だからこそ?)、独占できたことがお気に召したらしい。婉然とした笑みでクラウドを見返し、セフィロスは闇に身を溶かして消えていった。


「クラウド、クラウド、大丈夫かい?」
「……ああ」


ティーダが持つポーションに首を振り、セシルの支えようと延べられた手やフリオニールの肩も借りずに、クラウドは血反吐を全身からこぼしながらバスターソードにもたれるようにして立ち上がった。誰の手もいらないと如実にあらわすクラウドの背中にまたひとつ、大きな傷を見つけて、ティーダは唇を噛む。
いつも不思議な輝きが踊っていたクラウドの目は、セフィロスを睨んでいたときの凶悪さが嘘のように、失血による視野の狭窄と疲労で、死人を思わせるほど濁っている。それを重く見たセシルは渋面でバスターソードを取り上げ、フリオニールに押し付けた。


「な、おい…!」
「君は怪我人なんだよ、クラウド」
「あまり、体に無理を強いるな」


フリオニールがバスターソードに伸ばされたクラウドの手を避け、手の届かないところまで後退する。クラウドの体を押さえ込みながら座らせるセシルが、ティーダからポーションを受け取ってクラウドの胸元に持ってゆく。周囲の険しい顔にようやく冷静さを思い出したのか、不本意な表情を隠さず、しかし大人しくクラウドはポーションを手に取った。
クラウドの眸は平素通り、凪いだ湖そのものの色に戻っていた。賑やかしいティーダを黙らせた、目の色ひとつ、沸き立つ剣呑な雰囲気ひとつがなりを潜めている。けれど、激しいそれらは確かにクラウドの身の内から溢れたものだ。いっそ穏やかな悲しみばかりしか知らないティーダに、油断したところの横っ面を思いきりひっぱたかれるのと同じくらいの驚倒が押し寄せた。人形めいたその容貌が、今まで彼が人間であるという認識を忘れさせていたのかもしれない。
クラウドは今更疲れた風体でセシルの肩に頭を預け、気怠げに熱のこもった息を吐いて、緩く目を閉じた。時折痛みに歪む顔や、傷の合間から覗く無機質な白い骨、断続的に滴り落ちる血が痛々しい。
フリオニールがクラウドの額と手首に手をやり、顔をしかめた。


「まずいな。熱とショック症状が併発してる」


それが一体どういうものか、ティーダは医療に明るくないのでわからないが、クラウドの細かく痙攣している指先に触れると、ひどく冷たく感じられた。


「僕がクラウドを連れていくよ。フリオニールは弓で牽制をお願い。ティーダ、クラウドの剣、持っていってあげて」


フリオニールから渡されたバスターソードを、地面と接して刃こぼれしないようにと持ち上げると、刃先は重みでふらふらと頼りなさそうに揺れた。二の腕がつりそうなこんな重い剣を、クラウドは片手で振り回しているのだ。
すっかり剣に目を落としてしまったティーダに、フリオニールは苦笑いをこぼして言う。


「利き手で持つのはやめた方が良い。変に筋肉が延びて、腕が壊れるかもしれない。重いだろう?」


とても、重い。
しかしティーダはフリオニールに小さく首を振って、両手をバスターソードの柄に添えた。
フリオニールは矢を弓につがえて、辺りを警戒している。ひとまずの処置を済ませたセシルが、クラウドの腕を肩に回させ、ゆっくり立ち上がる。クラウドはセシルに半ばつられるようにして、夢見心地な足取りで歩いてゆく。ティーダはその後ろについていった。
不意に、クラウドが顔を上げた。瞼を重たげに持ち上げ、それでも首を巡らすのはさすがに億劫なのか、視線を泳がせている。


「クラウド? どうかしたッスか?」
「……………」
「クラウド?」


セシルがクラウドの顔を覗き込んだ。
クラウドの視線は一心にティーダへ、ティーダの持つバスターソードへ注がれている。物言いたげに口をあくあくと動かし、諦めたように俯き、かすかに手を剣に伸ばした。心許ないとごねる手は宙を掻き、やがてその動きは彼の意識の喪失と共に、ぱたりと潰える。
彼が初めて見せた、絶対的な弱さだった。












10 ひとつの春還

薬の助力があったとはいえ、クラウドは、信じられない治癒力を見せた。コテージに戻る頃には、血は止まり、胸の一番重い傷以外は組織が肉の間を埋めて、クラウドの意識も回復していた。
胸の刃傷を上に向けてベッドに寝かせたセシルとフリオニールはウォーリアに状況説明をすべく席を外し、帰っていたティナに回復を任せて、ティーダは結局、バスターソードを返す機会を逸したまま、手持ち無沙汰に剣を触っていた。思い出したように指を刃に強く押し当てるが、剣章魚で分厚くなった指は、切れはしなかった。
ざりざりとした手触りを指先に感じながら、果たしてティーダはこの剣を預かる資格を持ちうるのだろうかと考えた。弱ったクラウドが周りを拒み、にも関わらずすがるように手を伸ばした彼の心の寄す処とするこの剣は、重厚な威圧を、抱えるティーダの太腿に与え続けている。骨に直接かかるような圧迫感は、ティーダのどこかにある後ろめたい気持ちを呵責するようで、少しつらかった。


「ティーダ」
「ティナ。クラウド、大丈夫ッスか?」
「うん。まだ安静だけど」


ティーダの不安を嗅ぎ取ったティナは、柔らかく微笑んだ。
男とは根本的に違うたおやかな笑みは、ジタンではないが、女の子なんだと改めて思う。無条件に懐へ包んでくれる気がする。所詮は根拠のない妄想だけれど。


「クラウドが呼んでる。行ってあげて」


鈍色に輝くバスターソードに目を落とす。返して欲しいのだろう、当然だが。盗んだわけではないのに、ばつが悪い気持ちがして、ティーダは頷いた。


「クラウド、入るッスよ?」


返ってきた、低い、いつも通りの声が、重傷の体とは思えない齟齬をもたらす。
部屋に入ると、クラウドは横になって目を閉じていた。その横顔は今まで胸を開いた傷に朦朧としていた人間には見えない。相変わらず顔色は悪いが、凛とした、変わらない顔だった。


「この剣……」
「ああ、すまなかったな。そこに立てかけておいてくれ」


腕を動かすと響くのか、ひどく緩慢な仕草でベッドサイドを指す。つらそうに腕を脇に下ろして瞬くクラウドを横目に、ティーダはバスターソードをそっと立てかけた。
手を伸ばせば簡単に届く位置。どこか釈然としない。


「ティーダ?」
「……クラウドは」
「……」
「クラウドは、死にたいんスか?」


あの日、聞きたくてずっと聞けなかった言葉。
またもみっともなく震える声をこらえてクラウドを見ると、クラウドは、言われた意味を計りかねているという顔をしていた。何を言っているのか、または何故そんなことを言うのか、どちらがわからないのかまでは知れないが、クラウドの眸は珍しく困惑に揺れている。


「殺されてもいいって言うしっ、今日だってムチャクチャするしっ、」
「ティーダ」
「俺だって馬鹿やるけど、今日はクラウドが馬鹿だ!」


語調をだんだん荒げていったティーダの突然の馬鹿呼ばわりに、クラウドはぽかんと口を薄く開けた。無防備なその姿は己の命をも剥き出しのままにしているようで、ティーダはまた腹が立つ。
クラウドは馬鹿だ。馬鹿馬鹿馬鹿。ばかばかばかばかばか。
子供の癇癪のつもりは全くなかったのに、ティーダの目はじんわりと潤んだ。


「俺、クラウドに死んで欲しくないっスよぉ…」


ただその一心。
ああ、俺、クラウドのことほっとけないんだ。
鼻を鳴らしてぐずり始めたティーダに、クラウドはまだ目を丸めたままだった。勝手に騒いで勝手に泣いたと思っているのだろうか。想像して、ティーダはまた泣きたくなった。
しばらくはぐずぐずという音以外に部屋は無音で、やっと洟が収まったと若干重たい目でクラウドを睨んだら、クラウドは体を傾けて横になったままティーダと向き合っていた。その顔はいつも以上の悲しみを湛えている。ティーダは、なぜクラウドがそんな悲しげな顔をしているのか、わからなかった。


「───その言葉…」
「クラウド?」
「俺こそ、あいつが生きてる間に言いたかった……」


かすれて、残滓のような切なる声。
命の色を浮かべた瞳から生まれ、まなじりからこぼれた一粒の滴を見ながら、ティーダの鼻の奥は痛んだ。安らかな泣き顔はともすれば笑っているようにも見え、どうしてだか、ティーダもつられて涙を落とす。

 

「ありがとう」

 

唇を噛んで俯き、首を弱々しく振った。しくしく疼く下腹に何気なく手を添えつつも、ティーダはクラウドに触れることができなかった。
いつかに経験したこの胸の温もりは、ティーダの心を締めつけ続ける。









 


(愛しく厭わしくそこにあり続けるもの)
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