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- Date:2024年11月23日
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ジャンル無差別乱発
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たいていユースホステルというものは、旅館よりも更に施設は小さく、経営に携わる人間もごく少数。混んでいれば相部屋は当たり前、風呂もこぢんまりとしていて、なかなかどうして敬遠されがちだが、その分価格から情報交換まで色々融通が利き、気ままな一人旅には分相応な宿泊施設である。しかし安全面ではどうしてもホテルや旅館に対して見劣りする印象があったり、主に山あいや辺鄙な場所(というより観光地と観光地の中継地点なのだが)にあったりと、便利になってゆく世の中に置いていかれるように客足が減り、かつての盛況が徐々に失われていることは否めないのが現状であった。
そんな現代からひっそりと距離を取るようなユースホステルが、とある山中にも存在していた。
「あー、あー、あー! ついてねぇな、タイヤが歪んじまうなんてさ」
「んなこと言ったって、無理やり進路変えたのはお前だろ」
「だって新しい道路って凸凹とか全然なくて、走るの、すっげえ楽じゃん」
それで調子に乗って、転んで修理もできないほどタイヤを壊してしまっては、本末転倒だと思うのだが。
そんな文句は言うだけ無駄なので、ジタンは口を閉じる。山道を歩く上で下手な文句は体力的にも精神的にもよろしくない。連れの馬鹿はきっとジタンが不機嫌になる理由も知らず、しゃべくり通すのだろうけれど。
幸いにして転んだときの傷はひどくないようだが、代わりにマウンテンバイクは致命的に壊れてしまっていた。引いていくのもどうにも難しく、仕方なくタイヤを外して畳んで袋に収納し、ジタンも付き合って無傷のマウンテンバイクを背負って徒歩で下山だか登山だかを敢行している。
近所の幼なじみで良き兄代わりの旅好きな彼の休みごとに聞く土産話は、ジタンにとって宝物のようにきらきらしく、常に未知なる外の世界が羨ましかった。ことあるごとに真似して旅に出たいと騒いでいたジタンにお許しが下ったのは、高校にあがって初めての夏休み。身長が伸び悩んであまり男らしい容貌に恵まれなかったジタンが、ようやく夜歩きしても一人で対処できる腕っ節になった頃である。といっても、お目付役もいるけれど。
そのお目付役こと幼なじみのバッツは妙に人付き合いが上手く、敏腕アルバイターとしてキャンパスライフを満喫しているようだが、交友関係は大学構内に留まらず、その全容は両親も把握しきれないとか。気さくで明るいが曰わく、二十歳児と揶揄されるらしい。言い得て妙であると、さっさと先に進んで軽く跳ねながらジタンを待つ一向に元気なバッツを見ながら、ジタンは背負っている荷物を揺すった。
「見ろよジタン。ユースがあるぞ」
「ユース?」
「ツーリングとか、そういう旅する奴向けのホテルみたいなモン」
バッツの指差す方向を、ジタンも見た。ホテルというよりは、ロッジか少し大きいコテージという風体の建物が、旅館やホテルのように主張するネオンの光る看板は一切なく、ひっそりと佇んでいた。本当に泊まれるのかと疑わしげなジタンの背を促して、バッツが笑う。
「ほら、あそこにでっかい三角と家と木の絵があるだろ? あれな、全国のユースホステルの認可証みたいなもんなんだ」
「お前やけに詳しいな」
「俺も旅するとき、どっちかっていうとホテルよりこっちによく泊まるからさ」
会員証も持ってるんだぜ、と財布からカードを差し出して見せるバッツ。写真はなく、性別、住所と続く印字の下に、太い歪な字でバッツの名前がある。
「予約とかは?」
「部屋が空いてたり緊急だったら飛び入りでも大丈夫なんだよ」
「緊急…?」
「こういう場合」
なるほど、まさに今の状況はそれである。半笑いになりつつ、ジタンは玄関に連なる階段に足をかけた。他にも客がいるのだろう。車や、どでかいバイクが停まっている。はしゃぐバッツを引きずり、そろそろ忍耐も体力も尽きるジタンは玄関の引き戸を開ける。辺りは既に薄闇がベールのように重なり始め、山中に明かりのひとつも灯っていないのを見るだに、この山のユースホステルを見つけられたのは確かに僥倖だろう。果たして、良いのはどちらの日頃の行いか。
玄関は普通の民家と何らの変わりもない。脇に下駄棚があり、スリッパが山になったバスケットが置いてある。貸出用の折り畳み傘が大量に棚からぶら下がっていた。
「ちわー」
「はーい」
奥から窓口に出てきたのは、髪を上で結った女の子だった。年はジタンより少し上といった明らかに学生の可愛らしい出で立ちをしたティナと名乗った女の子が、手慣れたように応対を始めたのには、ジタンもバッツも驚いたものだ。
「今日一泊頼みたいんだけど、空いてる?」
「はい。今日の夕食と明日の朝食はどうします?」
「あ、夕食まだ間に合うんだ? じゃあ両方宜しく」
「お、おい」
そんな気軽にご飯の催促をして良いものなのだろうか。いくら旅に向けてそれなりに貯蓄を持ってきたといっても己の身は所詮高校生。高くつくのではと戦々恐々のジタンを差し置き、バッツは快哉に笑った。「旅館とかとは違うんだって」
「っと、会員証持ってるの俺だけなんだ」
「わかりました。夕食と朝食付きで5410ギル、お連れ様が5640ギルです」
「…え、そんだけ?」
「元々ユースは金のない学生向けに価格は低めなんだよ」
下世話な話だが、飛び入りのジタンたちが入れるほど空いてるのでは、維持費が嵩むばかりで経営は苦しいのではないか。ジタンの顔色を読んだのか、ティナはにこやかに言った。
「私も夏休みに兄さんの手伝いで来てるだけだけれど、秋はこの辺、紅葉がすごく綺麗だから、繁盛するんですって」
「兄さん?」
「今キッチンで夕食作ってるの。ここのオーナーってことになるのかな」
シーツを受け取ったバッツは食堂にひょいと顔を出している。シーツを抱えたジタンも部屋の名前を聞いて、バッツに倣い、食堂を覗き込んだ。奥で大柄な男が、カウンターに寄りかかって誰かと話をしていた。
「あの人?」
「ううん。あの人は昨日から泊まってるの。部活の顧問をしていて、合宿の下見らしいんだけど…」
「飯、飯ー」
ティナの声を遮り、どたどたと階段を駆け下りてきた太陽色した跳ねっ返りの髪を散らして、少年が食堂へ飛び込んでいった。その後ろを呆れた顔して落ち着いた足取りの少年が続く。彼は玄関先でだまになっていたジタンたちを一瞥するが特に訝しむ様子もなく頭を下げた。愛想がさほどないのか、冷ややかな美丈夫の額に傷がある。
「クラウドー、はらへったッスー!」
ティナは元気な様子の少年の声に微笑をこぼす。
「兄さんに夕食のこと、伝えてくる。お風呂はもう沸いてるから、7時の夕食までにお願いね」
風呂はタイル張りの大きめなセパレートバスだった。あてがわれた二人部屋に荷物を適当に放り込み、ジタンはバッツと並び揃ってシャワーを浴び、少々熱い浴槽に浸かった。動かすのに若干手間取った扇風機を取り合いながら体を拭いて服を替えると、ようやく疲れに気づく余裕が生まれたのか、ふくらはぎが張り始める。このまま心地好い疲労に跪いて眠ったって良かったが、夕食を出してくれるというなら顔を出すべきだろう。汗みずくの服と濡れたタオルを手早く部屋に敷設されたハンガーにかけ、食堂に足を踏み入れる。
食堂といっても、四人掛けのテーブルが四つ、ウッドデッキのテラスに向かう途中にリラックスブースがあるだけで、大家族のリビングのそれとあまり変わらない。既に先にいた客は思い思いの席に座って騒いでいる。一番最初に食堂にいたであろう男は、早くも酒の蓋を開け、グラスをジタンたちが初めて見る青年に押し付けていた。
「おぉい、俺たちはどこに座ればいいの?」
「ああ、すまない。食事が置いてある席なら、どこに座っても構わない」
青年が応える。そういえば、青年は僅かばかりティナと似た柔らかな面差しであった。兄と呼ばれたオーナーなのだろう。隣で絡んでくる男に比べて抱き込まれているような細い有り様、思った以上の若い容姿に、ジタンはつい、隣でぽかんとしているバッツの顔と見比べてしまった。
さっと男の腕をいなした青年を、男が未練たらしく呼ぶ。
「いいじゃねぇか、ちょっとくらい。お前さん、今日が誕生日なんだろ? こんな日ぐらい業務を忘れたらどうだよ」
「へえ、あんた今日が誕生日なんだ」
「誕生日を出汁にして、酒盛りの相手を欲しがってるだけだろ」
「まあまあ。酒なら俺も飲めるからさ、相手が欲しいなら付き合ってやるよ。奢ってくれるなら」
客に対してなかなか辛辣な毒を吐く青年は、苦笑いしながらカウンターでティナが差し出すお盆を受け取った。不満げな唸る男。バッツが空いた男の隣に腰掛け、にやりと食えない笑みを浮かべるのへため息を吐き、ジタンはバッツの向かいに座る。隣は、あのひたすら夕食を催促していた少年だった。一心に並ぶ夕食を見つめていた少年は、ふいにくるりとジタンに差し向かって、気さくに声をかけてくる。
「はじめまして! 俺、ティーダっていうッス。合宿の場所決めにきたんだ。あんたたちは?」
「俺はジタン。こいつはバッツ。自転車で旅行してたんだけど、ちょっとタイヤがイかれてさ。ここ見つけなかったら俺たち野宿だったぜ」
「…パンクか?」
「いんや、車輪が歪んじまって、もうお手上げ」
「…麓の自転車屋まで、車で運んでやろうか?」
ここから先を、荷物を担いで越えるのは辛かろうと、青年がジタンの前で茶を注いでやりながら言う。慣れない旅に早々くじけそうなジタンがなりふり構わず頷く前に、その言葉をバッツが差し押さえた。
「いやいや、自転車屋も、知らない土地で自分で見つけてこその旅だって」
いつの間に飲んだのやら、管を巻いたわけのわからないバッツの言をジタンが訂正する前に、バッツは男に唆されたのか、男と一緒になって青年に相席を求め始め、話題が流されてしまう。
「いい加減にしろよクソオヤジ! クラウド困ってるじゃないッスか!」
テーブル下で足を跳ね上げ相手を蹴ったらしい。叫ぶティーダを煩げに見やり、男が言う。
「酒の醍醐味も知らねーお子様が口出すなよ。クラウドだって、お前みたいなうるせーガキより、話のわかる大人を相手にする方がいいだろ?」
「あんただって無理やり勧めてるじゃねぇか!」
何やらそれぞれなりにクラウドを気に入っているらしい二人の激化していく喧嘩の飛び火を厭い、ジタンは目が合った傷のある少年に話しかけた。
「なにあれ、仲悪いの?」
「仲が悪いというか…同族嫌悪だな」
スコールというその少年はやはり寡黙な性質で、言葉少なに細々と喋る。現在兄と微妙な関係にあるジタンはどうにも他人事にも思えず、スコールの迷惑加減だけは全面に出された静かな言い草に、苦笑いするだけに留める。
本当は祝いたいだろうに、今にも掴み合いの様相を呈す似た者親子二人に戸惑うティナが何だかとても不憫だ。
「祝いたければ、祝えばいいんじゃねぇ?」
「じゃあハッピーバースデーの歌だな! ケーキはないけどさ!」
代わりとばかりにまんまとバッツからグラスを押し付けられたクラウド青年は、ぱらぱらとあがる、タイミングも音程もリズムも大きさも全く違う声に、恥ずかしそうに小さくはにかんだ。その顔がやけに印象的だと、ジタンは思うのである。
現実から少し離れた山中の、とある夏の盛りの日のこと。