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飽かぬ別れ

ジャンル無差別乱発

とある夢のはなし

うみねこ:天草と戦人


夢の中で会う二人。
あくまで人間的な天草と、魔女悪魔その他有象無象に感化された残酷戦人
目覚めるまでは書けず、無念。

気がついたら、どこか現実味のない場所に座っていた。
沈みそうなほど座り心地の好いマットレスの椅子が、ずらりと円になっている。床は白と青黒い大理石が幾何学模様を描き、手元の乳白色なサイドテーブルの上には、チェスの駒。
ここはどこだろうか。
見回すと、ふたつ向こうの椅子に、思案げな顔をした男がチェス盤を不乱に見たまま気怠げな格好で座っている。
特徴的な髪色、清廉そうな白いスーツの襟元にある金糸の片翼の鷲。今の雇い主が一切の負債と遺産を受け継いだ家柄の証を、知識としては知っていた。しかし、男がここに存在するなど有り得ない。何せ男は、十二年前に孤島で一族諸共死んだという話だ。生きているなら三十路にかかる歳のはずが、若造の面差しを保ったまま過ごしているのは、


(人間じゃ、ない)


男はふとこちらに気づいたようで、チェス盤を見下ろしていた顔を上げてひたとこちらに目を据えた。
憔悴しきった疲れ目と顔色の悪さ以外は、かつて雇い主が兄と呼んでいた男の写真だと見せてくれた顔と寸分の狂いもない。彼女を独りにした者の一人で、莫大な財産を持つ右代宮家が所有していた島、六軒島で死んだはずだった、右代宮戦人その人。


「よう」


声に張りはないが、妹思いと写真から見受けられた印象が僅かに残る、若い声。
幻想や妄想が形になった悪夢としか言いようがない。


「珍しいな。見たことのない顔だ。ここに来て初めて、ロノウェ以外の野郎を見たぜ」
「アンタ…」
「戦人だ、右代宮戦人。つってもここじゃ、家具だ駒だって散々に呼ばれてるけどな」


そうして右代宮戦人はまたチェス盤に目を向け、おもむろに首を傾げた。


「なんかアンタ、ここにいる奴らと同じに見えねぇな。名前は? 何でここにいる?」
「天草十三…いつの間にかここにいた」
「おっと、こりゃ…いやいや、勘ぐって悪かった」


魔女か悪魔か山羊と思うなんて相当キてるな、いやここに普通の人間がいるって考えんのもなあ、とぶつぶつ呟く右代宮戦人は、天草の目からすれば疾うに狂気じみている。不安定に揺れる黒目に濁った青色が沈澱しているようで、真っ直ぐ見ていられない。


「安心していいと思うぜ。きっとアンタはすぐに帰れる」
「アンタはって…アンタは帰れねえんですかい?」
「帰れねえな」


あっけらかんとした物言いに、つい天草は右代宮戦人の顔を見つめた。右代宮戦人は何やら切迫した様相で、ずっと、チェス盤を見ている。
天草の頭に一瞬血が駆け上った。
彼の妹は、須摩寺の家に搾取されようとしている右代宮家の財産を奪われまいと苦心するかつて天草の雇い主であった女に人形のように堕落させられそうになり、一族で唯一事件と無関係な場所にいたとして口さがないマスメディアからの不躾な質問にも耐え、ありもしない右代宮家の財産と言われる伝説の黄金を欲しがる輩からの脅迫にも耐えてきたというのに、兄はそんな妹にも拘泥しない様子でいる。


「それでも大事な家族とか、アンタもいるはずでしょう?」
「家族、ね…いるにはいるさ。けど、みんな死んじまったからなあ。…ああ、妹が一人、生きている」


チェス盤から目を放した右代宮戦人は、忘我の表情で宙を見、ぼんやりと返す。
みんな死んでしまったということは、ならば天草の目の前にいるこの男はなんだろうか。まさか、一族をその手で屠ったわけではあるまい、こんなうら若い青年が。
戦人は指で緩慢に瞼を撫で、疲れきった声で続けた。


「ああ、そうだ、縁寿、風邪治ったかなぁ。独りにさせちまうなぁ」
「帰ろうとは、思わねえんで?」
「帰れないさ。ステイルメイトは、俺には許されない」


天草はチェスのことなど詳しくは知らないのだが、ステイルメイトとはそれの用語であり、指し手がいなくなり、実質手詰まりの状態になることと記憶している。
内心の義憤を押し込め、天草は右代宮戦人へ盛大に皮肉を贈った。


「ゲームの方が大事ですかい?」
「同じ天秤にかけるものじゃないだろ」


全くの正論だが、今も妹をほっぽりだしている人間に言える言葉じゃないと、思う。


「俺はそろそろ行くよ。負けたゲームの帳尻合わせにあいつらの玩具にならなきゃなんねえから」
「罰ゲームってわけで?」
「そんなもんだ」
「ずいぶん暢気なんですねぇ?」
「まさか。向こうは遊びのつもりだろうが、俺にとっちゃ命懸けなんでね。ま、どうせこの世界で殺されたって、すぐに治されるんだけど」
「は、あ?」


にっと人好きする顔で笑って立ち上がった右代宮戦人から、ふと血臭が漂ってくる。あまり胸を張れない職柄の天草もよく知っている、催吐性のある臭い。よく見れば右代宮戦人の左胸には穴が開き、黒いベストに湿り気を負わせている。
到底人間が生きていられる傷ではない。


「アンタ…」
「もしかしたら事件にされると思うけどさ、俺も俺の親父も継母も従兄弟もみんな、死んでるからさ、だから、やっぱり帰れねえんだ」


右代宮戦人の時が、事件の真っ只中で止まっていると窺える口振りだが、天草にとってそれは十二年も前に取り沙汰された過去の怪奇事件だ。今や天草の雇い主であり右代宮戦人の妹たる彼女も兄の歿年と同い年になり、兄の話をするたびにどこか痛みを堪える顔をしているのを思い出す。
ぞっとした。
この、時間のずれは何だ。


「アンタ、ゲームしてるって言ってやしたよね…誰と、何のゲームをしてるんです?」


右代宮戦人は底意地の悪い笑みを浮かべて言う。


「魔女と、六軒島で起こった事件の推理ゲームを、な」


それなりの苦を弄したならば、それに見合った情報が手に入る今に知ったことだが、右代宮家の隠し黄金にまつわる逸話の中に、黄金を造り出したのは右代宮家顧問錬金術師を謳った魔女だという話がある。黄金の魔女、ベアトリーチェ。話の大元は、一代で右代宮家を大富豪にのしあげた事件当時の当主、右代宮金蔵の愛人と言われているが、真偽の程は確かではない。
強張った顔で胸の穴を見つめている天草に、右代宮戦人は笑った。


「本当に信じたのか?」
「…ええ、演技がお上手で」
「いっひっひ。魔女なんているわけねぇだろ」


そう笑う声は一見して鷹揚そのものだが、ひどく酷薄だ。鼻の曲がった老婆が黒いローブを被って大鍋をかき混ぜるときのような。
それこそ老獪な魔女は、こんなふうに笑うのだろう。
濁った青色が浮沈する瞳は、胸の穴と併せて一際彼を人にあらざる者にしている。それがこの現実味のない場所と同じく畏怖を感じさせる。
彼はもう、この現実からかけ離れた世界と同じ存在になりつつあるのだ。
失望よりも絶望が、次いで恐れがせり上がった。


「さて、老婆心から忠告しとくけど、ここから出るなよ。山羊の頭した家具に喰い殺されんのは一番オススメしない死に方だ。いてーし、精神的にけっこうなダメージだからな。あと、そこにあるクッキーと紅茶は勝手に手ぇつけていいから」


そう言って右代宮戦人は姿を消した。
そこに、と彼が指したのは、彼が座っていた椅子のサイドテーブルにあるバスケットとティーセットだった。彼がどのくらいの時間、長考していたかは知らないが、それでも尚オーブンの温もりと香り高い湯気を残すそれらを見て、天草の口からひゃは、と空笑いが漏れる。
殺人事件の時効は十五年。あれから十二年。焦りつつも真実を知るために六軒島へ行くという話を彼の妹から聞いたのは、けっこう最近のような気がする。今も犯人が見つからず、ネット上でオカルトマニアやウィッチハンターが面白おかしく考察を書き連ねて話を騒がせているあの猟奇的な事件を明かそうとする目的は同じなのに、右代宮戦人と右代宮縁寿の指標の在り方はずいぶん異なっている。
それが、ひどく恐ろしいことのように思える。


(──ああ、彼は魔女に囚われてしまったのか)


ここは悪夢よりもひどい異界だ。

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