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- Date:2024年11月23日
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ジャンル無差別乱発
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狂気の在り処を知っている君だから
時折思い出したようにこちらを振り向き、後ろ髪が引かれる様子をありあり見せながら、あの赤毛の頼りない大使は雨上がりでぬかるんだ道を帰っていった。
一日もすれば雨は上がり、空は晴れ、遠く向こうにある街も活気づく。嫌でも誰かが行方をくらませたあれを探しにくるだろう。そのときは己の姿を人に見られてはならない。
血を吸ったように濃い赤の色を見せつけるが如く長い髪と、仄暗く光るペリドットの瞳は、今や王族の証として成り立たなくなって久しいが、それでも邪推する無粋な輩は絶えない。折しもあの青年もその憂き目にあったらしく、何か心当たりがあるような顔をしていた。
「………まさかあんなに似ているとは……仕組んだのか、ローレライ?」
応えは変わらず返ってこない。そんな状態がもう何十年何百年と続き、一人相撲の問答をするのにもいい加減に飽きてきた。けれど己は人と関わるべきではない。
あの青年の面影に、かつて刀を向け、ほとんど同じ時に死に逝き、その心算が全くないが、外聞的に見ればいわゆる運命共同体だったろう片割れを投影する。廃れることない記憶の底で大切にしまっている思い出の影に、あの青年はあまりに重なりすぎた。
この星が死にかけたあのときから幾星霜。数えるのも馬鹿馬鹿しい時間が流れたが、己の体は青年期に入ったそのままの姿を一欠けも崩さない。今際だった者とはいえ、一人の命を食った罰か否か、忘れた頃に沸き上がる耐えがたい飢えとこの姿の理由は、知っているであろう者のその解答を今のところ得られていなかった。
久しぶりに見た顔に懐旧がじわりと心に滲むが、関係を築くつもりはない。あれは己の知る青年ではなく、別個の人間だ。己の出生や背負いきれない罪に苦しんだあの青年ではないのだ。永いときを生きてきたとて、あれほど似ているあれと己の知る青年を重ねずにいられるほど、自分は大人になりきれない。
だから、このまま見送るのだ。
飽和した夜が僕を飲み込もうとするのに
バケツを引っくり返しても、浴槽を引っくり返しても足りないくらい激しい土砂降りに見舞われ、泥を撒き散らしながらルーク・フォン・ファブレは走っていた。白くタイトな下履きは汚れが飛び散り、同じく服も雨で濡れそぼり色を重く変えている。
古くからの貴族であるルークは、視察に来た供連れの者から逃げて、界隈を見ていた。待ち受けたかのように準備の良いもてなしを受け、決まった場所しか見られない視察など、その街の特色がわからないに等しいからだ。しかし供周りはルークの意を介しながらも、ルークが元公爵家の身であり、その権威を完全に逸していないこともあって、一人で行動することを渋っていた。よって出た暴挙の末がこれである。
ロイヤルワラントの取得に総出をあげて血眼になるほど融通の効いた制度が横行するご時世、目に見えない部分の治安が悪ければ、観光誘致に宣伝を許可することができないと、良かれと思ってやったことであるのに、いるかもわからない神様はルークのことがよほど嫌いなようだ。若い身空で差出がましい罰だろうかとルークは小高い丘を駆け降りる。
時間ももう遅く、空も暗雲たれこめ暗く、雨はまた一段と強くルークを打ち鳴らす。丘の麓、町外れにあったうらぶれて見える邸に、ルークは仕方なく駆け込んだ。
静寂に溺れていた気がした
錆びた繊細な細工の施された門を押し開け、荒れ果てた庭を横切り、広い軒先で雨雲の具合を見ていたルークは、どうやら迎えを期待できないと見込みをつけてため息を吐いた。
どうにもここは見つけにくい。ルークでさえ、この邸を見つけたのは、ほんの偶然だった。
ああ、心配で死んでやしないだろうかと、供周りであり親友であり兄貴分である気の良い彼に思いを馳せる。心配症な彼はルークを心配することはあれど、ひどく叱ることはない。代わりに自分の内に溜め込み、一気に爆発させるのだから始末に終えない。前は酒が入った拍子に泣き酒を始めてしまった。自分も酒を強いられ、朝目が覚めたときはお互い素っ裸だったが、何があったかは思い出さないようにしている。うなされる夢になりそうなものなど、覚えていない方が良いのだ。
「うぅ…冷えてきたなぁ」
腕を摩り、襟を掻き合わせ、飽きずに空を見る。分厚い雲は変わらずだ。
武官として籍を置くルークは簡単に風邪をひくほどやわではないが、いつまでも寒い中を突っ立っているような物好きでもない。けれど、こういう持ち主がその権利を放棄した館には、良くないものが住み着くという。ルークは、そういう類を好きになれなかった。
………ギ、
微かに音を立て、扉が少し開く。他に物音はなく、中の様子はわからないが、得体の知れない闇が渦巻いているように思えて、ルークは嫌な汗を垂らした。
「…入れって?」
平たく言うと、ルークはこういうびっくり系ホラーが嫌いなのである。
そっと急かされる
雲の厚さを窓が映し、邸内はよほど暗く感じた。
とりあえず足元から這上がる冷気や冷たく当たる風に晒されないで済み、些かマシな状況になったが、今は別の意味でルークは震えあがっている。
誰もいないとわかるほどの荒廃を見せる屋敷に、わざわざ招き入れる人間がいるはずはないとルーク自身もわかっている。しかし、冷静に考えたその結果は、ルークには受け入れ難いものだった。窓は薄汚れていても、一枚も破られていないから、吹き込む風で開いたなんてルークの希望的観測が呆気なく打ち捨てられ、ルークは死にたくなった。
「………あはん」
助けて。
心の中で救難信号を発信し続ける情けない尉官は、やはりぷるぷる震えながら吹き抜けのエントランスホールを抜け、真正面にかまえる二階に続く階段を見て嫌な顔をした。
煤けているが、埃はない。嫌なモン見ちまったと顔を歪めるルークは視界の端で、ひらひらたなびくものを捉えた。
「ぎゃ、」
「お前………」
裾が長く黒い服を着てこちらを二階から見下ろす男は、ルークと同じ赤毛の男だった。
また世界が恐ろしくなって参りました
少し明るいルークの短い髪とは違い、薔薇の花弁のように深い赤色の見事な長髪を揺らし、男はルークを真っ直ぐ見ていた。まともに直視する気は全くなかったものの、ルークも静かに男を見たまま視線を外せないでいた。内心で絶叫しているが。
先程の声を聞く限り、男は若いようだ。今でこそ身長はわからねど、恐らくルークと似たり寄ったりなものだろう。けれどもルークが目をそらせないのはそこではない。
「誰だ、お前」
「ぅぎゃ、」
「……………もういい」
ルークにまっとうな返答は期待できないと思ったのか、少し不快げな顔をして男は踵を返した。余所の人間が勝手に入ってきたというのに、ずいぶん大雑把だ。
いや、彼がこの屋敷の持ち主か、知らないけれど。
さっさと引き下がる男に、ルークは追いすがった。
「お、おい、俺が勝手に使って良いのか?」
「好きにしろ」
「好きにって…一応ここお前が使ってんだろ? お前の都合が悪い場所とか、」
「くどい!」
男が振り返ったとき、雷鳴が轟いた。稲光に照らされた男の顔は、ルークと瓜二つどころか、まんま同じだった。男も意外だったのか、目を丸くしている。
ドッペルゲンガーですか…
ルークはあつらえられたかのような状況に、うんざりした。
私の五感は正常でしょうか
「お、前…何故俺と同じそんな顔をしている」
「いや、別にこの顔になったのは俺の一存じゃないし」
この男は天然なのか。ふざけんなビビった俺が馬鹿みたいじゃないか。
ルークは小さく憤った。
男はしばし沈思した後で、ふとルークの召し物を見た。
「…お前…使節師団か」
「え? うん、まあ」
「…となると、ランバルディアの人間だな」
「いや、一応俺王家の人間じゃなくてまだしがない士爵ですが」
そういえば、以前誰かに過去王家を象徴していたらしいこの赤毛と碧眼のせいで、色々血筋を勘繰られたことがある。しかしルークの家系は何代遡っても王家直系の血筋だと聞き及んだことはない。家系図で確認してずいぶん先、それこそ数十世紀前の先祖が公爵家から零れ落ちた人間だったくらいで、そもそも今は髪や目の色で王座に座る資格があるなどとおかしな慣習はないのだ。それを口にするこの男は、実は見た目以上に年を食っているのやもしれない。
「お前いくつ?」
「さあな。いくつに見える」
「んー、俺と同じくらいに見えるけど、もっと年イってんじゃないか?」
男は一瞬驚いたように瞠目し、それから楽しげに顔を歪めた。しかし、ルークを捉えたままはなさない男の最たる特徴は、少しも感情を映さない。昏く澱んだままだった。
「おい、お前この街をどう思った」
「ん? ロイヤルワラントの申請の話? そうだな…悪いけど、活気はいいけど観光になるような目新しいものが少ないし、きっと申請は叶わないと思う」
「そうか」
男は安心したらしかった。
もしかしたら、この男はこの屋敷から離れたくはないのだろうか。確かに有名になればこれだけしつらえの良い屋敷を宿泊施設に改築することを提案する人間だっていないわけではなかろう。所有権をこの男が所持している様子はない。それを理由に退去を強いられるかもしれない。住まう場所を、なくしたくはないのだろう。
こんなうらぶれた屋敷をそのまま放っとく男の気が知れないけれども。
「この屋敷の管理は俺じゃないし、このまま好きに使っちまえば?」
「…言われずとも」
昏い双眸のまま、人間味のない男は奥へ歩いて行った。
結局、それから一度も男と顔を合わせていない。